kiyogat’s diary

2023年の1月にブログを始めました。

鉛筆工場

法要の旅の三日目。天気はさほど悪くならず、青空さえ雲の隙間から見えていたが、行く場所が定まらなかった。とりあえず向かったのが、花見山という所だが、まだ時期が早く何の見応えもなかった。榛名湖までは1時間以上かかるので、そこまでしていく価値があるのか疑問だった。次はガラス細工の工房が見学できるびーどろパークへ向かった。店ではたくさんの作品が売られていてそれを見るだけで母は疲れてしまい、工房を見るまで行かず、仕方がないので私が一人で見学をしてきた。創業は明治で日本で最初に体温計を作ったと言うくらい歴史があり、その昔ながらの製法がとても見応えがあった。

お昼にはまだ早かったが、沼田に来たのだから味噌まんじゅうを食べにいつもの駅前の饅頭屋で昼食にした。4人で6本くらい注文をすればいいだろう、と思ったが、母が一本では足らずにもっと食べたいと言うので一本あげた。母はそれを兄嫁と分けた。こちらは当然足りるはずがなく、長男があんこが入った饅頭が食べたいと言うので、2本注文をした。母はもういらないと言ったくせにいざ焼き上がると食べたいと言うので仕方なく一つだけあげた。相変わらず食欲旺盛で自分の言ったことをすぐに忘れる。

沼田名物の味噌まんじゅう


この近くに知り合いがいるからちょっと行ってみると母が言うので歩いて連れて行った。昔働いていた鉛筆工場で、当時そこしか就職口がなかったらしい。近くまで行ってみても、工場などと言うものは見当たらず、家も新しい家が立ち並んでいるだけだった。諦めて帰ろうとしたが、たまたま近くの家に業者さんが出入りしていて、その家に声をかけてみたら、年配の男の人が出てきた。もしかしたら何か知っているかもしれないと思い、鉛筆工場のことを尋ねてみた。するとすぐ家の裏にそこの工場の娘さんの家があると言って案内してくれた。

アベルを鳴らすと中からおばあさんが出てきた。最初は怪訝な顔をしていたが、母が当時の話をすると興味を持ち始めた。母が女学校を卒業して働き始めた頃、小さな3人姉妹がいたと言うと、その姉妹の長女がそのおばあさんだった。もう70年以上前の話だから話の中に出てくる人のほとんどの人は亡くなっていた。味噌まんじゅうを食べて思いつきで尋ねただけだったがとても親切に色々教えてくれて、母は満足していたようだった。