イースターも終わり、働いている店は極端にヒマになりました。
またブログネタを探さないと書くことがありません。
田舎町なので、基本平凡で平和な日々が続いています。
しかし台湾の地震のニュースなど見ると、この平和がありがたく思えます。
購読しているメルマガでForbes Japanで”2024年にイタリアで働くには?”というのがあったので読んでみました。
リンクを貼っておきます。
外国で働くための情報が、今時は簡単に手に入るのですね。
私の高校生の頃にはインターネットなどなかったので、大使館に行ったり、図書館で調べたりしました。
あの頃無かったものは情報だけではなく、知識も経験も何もなく、おまけに答えを知っている人にも出会えませんでした。
「まずは留学しなさい。そのためには日本の大学に行きなさい」というのが、通っていた公立高校の先生の答えでした。
それで大学受験に失敗して、一旦日本国外脱出を諦めるわけですが、1991年にワーキングホリデー制度を知ってから1ヶ月後にニュージーランドに向かいます。
調べてみると、日本は1980年にワーホリ制度を開始しています。私が高校を卒業したのが1983年だからすでに制度が開始してから3年も経っています。
極端に言えば、ワーホリの制度などなくても、日本国外にさえ出てしまえば、どうにかなってしまったような気がします。事実、ニュージーランドのワーホリの後、オーストラリアの田舎でワークビザを取得して働き、その後もトルコでケバブを売ったり、ロンドンの日本料理屋で不法労働もしました。
大事なのは、この国(あるいは街)で暮らしてみたいという気持ちとそこに行く切っ掛けみたいなものが必要です。
でもその切っ掛けは情報があった方が作り易いと思います。
青空が広がり、風も無く、いい天気の休みでした。
いつもなら釣り竿持って釣りに出かけるところですが、今日は窓ガラスの拭き掃除をしました。
部屋の窓からせっかくの青空がキレイに見えないと損をした気分になります。
しかし掃除を始めるまでがなかなかたいへんです。
そんな時は部屋の目立つところにガラスクリーナーとタオルを置いておきます。
そうすると知らないうちに手に取って掃除を初めています。
拭き掃除が終わり、気がつくと、朝やってきた近所のネコが見当たりません。
窓もドアも開いていたのでどこかに出かけて行ったのかと思いましたが、ベッドルームの日当たりの良い所で寝ていました。
つい誘われてしばらく添い寝してしまいました。
今日は初めてコーヒー(黒)とミルク(白)が線になりました。
昨日までは周りがコーヒーの黒で中にミルクの白が変な形で描かれているだけでしたが、今日は白の中にも黒い線が見えるのがわかりますか。
一日に自分の分を含めて数杯しか淹れないので上達も遅いです。
イースターが始まったわりには昨晩はさほど忙しくなかったそうなので甘く考えていたら、やられました。
今日は午前11時くらいから客足が止まらず息をつくひまもありません。
スタッフも午後から増やしてくれたのでなんとかなりましたが、いつもの少ないスタッフ数では手が足りませんでした。
朝6時半からの出勤だったので定時の3時にあがり、あとは午後シフトのスタッフに任せましたが、帰宅後グッタリと疲れました。
こうゆう時に癒してくれるのは近所のネコ様ですが、昨日も会えず終いで、今日もどこかで別の家で可愛がれているのか姿を見せません。
夕方6時くらいになってようやくなんか喋りながらやってきました。
「やっぱりここがいいにゃあ」か、それとも「昨日は会えなかったにゃあ」とか言っていたのかもしれません。猫語は英語より難しいので猫語翻訳機が必要です。
そしてうちでさんざん寝たあと、9時になると突然起きてまた何か呟きながら出ていきました。
今日はイースターというキリスト復活祭の祭日です。
キリストが処刑された日なのに何故か英語ではGood Fridayと言います。
そしてスーパーでは復活の象徴とされるウサギや卵のチョコレートが大量に売られて、イースター過ぎると売れ残りが安売りされます。
そうそう、クロスバンズと言う十字架を描いたパンも売られていますね。
代わりにアルコールは売ってはいけない日に指定されているので、スーパーでは買えません。
毎年、曜日が変わるクリスマスと違い確実に連休になるので旅行に行く人も多いです。
そんなわけでジワジワと忙しいイースターですが、振替休日のイースターマンデーが終わると一気にヒマになっていきます。そして4月になるとサマータイムも終わり日が暮れて暗くなるものも急に早くなり、冬に向かっていきます。